作家の倉本聰さんが、1月の朝日新聞に書いていた文章です。
とても心に響きましたので、紹介させていただきたいと思いました。
長く生きることより、どう生きるかに価値がある。
人生の後半をどう生きるか。最近よく取り上げられるテーマですね。
人それぞれの価値感もあり、一概には言えませんが、一人の人間が
誕生して、成長し、やがて老いてフェードアウトしていく中で、
大切なのは長く生きることより、どのように生きるかということでは
ないでしょうか。
ある老人が健康と元気は違うと言っていたのですが、
僕も健康だけでは人生の最終目標にならないと思っています。
健康で何をやりたいの。
長生きして何をやるの。
人生、長寿ギネスに挑戦しているわけじゃないんですから(笑)。
老いることは誰もが同じですが、最後の一日まで、楽しく明るく過ごしながら
生きた人が幸せだと思いますね。
僕自身は、これまでの生き方に納得してもいるので、いつ死んでも怖くない。
ただ、生きている間は楽しく明るく過ごしたいという気持ちはあります。
もう一度、スタートした原点や初心に立ち返ってみる。
学校を出て就職したばかりのころ、誰にも夢があったと思うんですね。
でも組織の中で新人が夢を実現することはなかなか容易ではありません。
どうしたらいいか。
僕は、自分の夢をいったん金庫に納めてカギをかけて、
自分に発言力や実力がつくまでしまっておきなさいと言ってきました。
僕もそうしました。
ただ、大概の人は40代ぐらいになって社会の中で忙しくなった時に
金庫のあった場所を忘れちゃう、
カギを失くしちゃう。
そもそも自分が何をやりたかったのかすら忘れてしまう人もいるんですね。
40代、50代になったらそれを思い出すことですよ。
取り出してみて、昔の自分はこんなに青臭かったんだと思うなら
捨てればいい。
でも今の自分が真っ黒になったから青臭く見えるのかもしれません。
還暦や喜寿、定年退職などの節目に再度、初心を振り返るのも意味の
あることだと思います。
仕事を離れた後、残りの人生をどう生きるか、
いろいろな選択肢があると思いますが、
そのことによって喜びを見いだせるか見いだせないか、
大切なのはそこでしょうね。
それが”元気と活力”にあふれた、”楽しく明るい”日々の源になると
思うんです。
自分は何に喜びを感じるのか、それを識ることこそが
次の生き方につながっていくのではないでしょうか。
◇ ◇ ◇
このコラムを読んでくださった方から感想をいただきました。
「心が揺さぶられました。木村さんの瞑想の歩みの着実な
進歩が垣間見られ、今までのコラムで1番良かったです。」
ありがとうございます。でも残念ながら
これは、作家の倉本聰さんが書かれたものです(笑)。
私も、いつか、こんな文章が書けるようになれたらと思いました。