瞑想に入ったときの意識と 思いから離れたときの意識…

教室の新しい生徒さんから質問を受けました。
2、瞑想に入ったときの、「ぼーっとした意識」、3,思いを止めた
直後の自分を観るというときの意識はどう違うのですか?
という質問です。
(1は心を開く)
金井先生)
理屈としては、
2と3の意識は同じです。
強いて言えば、3の方が集中度が増すかもしれません。
瞑想は本当の自分を知るためにします。
2でリラックスが強調されるのは、リラックスしないと、
自分が自然な状態にならない(自我が働いている状態)だからです。
3でもリラックスは継続していることが理想ですから、
その意味でも2と3は、
理論的に、意識としては同じであるはずです。
瞑想のやり方の説明として、
2ではリラックスが強調され、
3では意識の方向性が強調されているだけです。
◇      ◇
質問を受けたときに、生徒さんが言った「ぼーっとした意識」
という言葉に少し違和感を感じたのですが、そのときは
そのことには触れませんでした。
後で、思ったのですが、
2は、感覚的には1で心を開いてるので、リラックスした
状態で、ぼーっという表現になるのかもしれませんが
普段のときに言う「ぼーっとしたという意識」ではありませんね。
なぜなら、瞑想しようという意思が前提にあり、思いから離れようと
いうことを意識してるのですから普段のぼっーとした状態ではないですね。
2も3も、リラックスと集中のバランスがとれた状態でしょうか。
それに関しては、平塚のセミナーで金井先生はヨガ教典の説明で
「一つのことだけに意識を向ける」という言い方をされました。
日本では「集中」という言い方をすることもあるが、「集中」をしようと
すると疲れてしまう、ので使わないほうがいいでしょう、と。
「集中」より「指向」、つまり、一つの方向に向き続けるという意味での「指向」
を使いたいと仰っていました。
金井先生の今回のアドバイスでも
「意識の方向性」、と言われてますね。
いつもの瞑想では、あまりこのようなことを意識してなかったのですが
改めて生徒さんから質問されると、自分が、キチンと理解し、説明が出来るか
問われますね。